日本橋について
日本橋は江戸のビジネスの中心地でした。日本各地から栄華を夢見て訪れる商人、職人など経済活動を支える人物がこの地域にはあふれ、インフラが整いました。
この地のシンボルとして存在する「日本橋」は徳川家康の全国道路網整備計画により、初代の木造の橋が1603年に架けられました。1604年に五街道の基点と指定され、江戸の中で最もにぎわいを見せる地域として繁栄し有名になりました。日本橋は江戸時代の浮世絵のモチーフとしてよく描かれています。

日本橋を含む中央区は、徳川幕府による土地の造成や上下水道、幹線道路などの都市基盤を発達させることにより、商売に適した街となりました。 江戸時代から道路の始点と同時に経済活動の中心地であった日本橋の周辺には、商店が軒を連ね、魚市場や呉服商、出版、小間物屋、旅籠屋などの多様な産業が集積しました。 そこで繁栄した商店は現代に至るまで何世代も受け継がれ、あるいは大企業へと目覚ましく発展するなど、現代でも東京の成長の核となっています。
「現金掛け値なし」の当時の常識を破る画期的な新商法を生み出し繁栄した三井高利の越後屋や白木屋などの呉服店も日本橋で商売を成功させました。これらの呉服店はのちに百貨店に変化し、越後屋は三越として現在も営業しています。ほかに蚊帳や畳表を販売した西川利右衛門(現在は布団メーカーとして有名な西川産業)や、鰹節の「にんべん」などは現在でも当時と同じ場所に店舗を構えて営業を続けています。
現在、日本銀行が建つ場所(中央区日本橋本石町)には、江戸時代に金貨の鋳造などを行っていた「金座」がありました。また日本橋から少し離れていますが、銀貨の鋳造などを行った「銀座」は現在の中央区銀座2丁目に設置されました。この「銀座」は寛政12年(1800年)に日本橋蛎殻町に移転しました。日本橋蛎殻町の隣の日本橋兜町には現在、東京証券取引所があり、徳川時代に金座と銀座を保有していた日本橋地域は現在も日本銀行と東京証券取引所という日本の経済の中枢を担う施設が存在しています。
「東京までxxkm」と書かれている道路標識のほとんどは、日本橋までの距離を表しているようです。徳川時代に里程の起点とされた日本橋は、地理的にも
東京の中心と言えます。

江戸というのはどのあたりを含めるかという議論はありますが、江戸時代の日本橋周辺は当時の世界で最も大きな都市ではなかったかという説があります。日本はパリやロンドンよりも先に巨大な都市圏・経済圏を形成していた世界初のメガロポリスだということです。
東京都中央区では、住所に「日本橋」を含める町が21もあります。日本橋本町、日本橋室町などですが八重洲1丁目を加える22町が旧日本橋区という地域を形成していました。1947年に旧京橋区と合併した中央区が誕生しましたが、その時に「日本橋」という地名を残したいという住民の要望が強く、日本橋が付く町名が多数となったようです。
中央区の面積は23区の中で2番目に小さい区です。また、日本橋区と京橋区が合併してできた区(昭和22年)であるので、現在も、税務署や青色申告会、法人会などは日本橋と京橋の2つに分かれて設置されています。
当社が所有するバルコ日本橋ビルは日本橋小舟町に位置し、日本橋室町エリアと人形町エリアにはさまれた地域にあります。大手企業の本社が林立する「歴史と先進性のある室町エリア」と「江戸時代の町人文化を色濃く残す人形町エリア」は日本橋全体の特徴を端的に表しています。
この地域にオフィスを持ちビジネスの拠点を置くということは、伝統の力と未来指向を合わせ持つ、東京という世界最高レベルを誇る巨大都市の中心で活動するという素晴らしい特権を得ることになります。
日本橋は誇り、だから町名にこだわる
古くからある日本の町名は、それぞれ由来があります。例えば、「寺町」といえば城下町の一部で、寺が多く集まった町だなと、その町を知らない人にも歴史的な背景が伝わるのです。
特に、日本橋は江戸開府以来、商業の中心地として発展してきましたから、歴史と伝統のある町名が多い。人形師たちが住んでいた人形町、公用旅行者のための人馬の手配などを行う道中伝馬役を務めた馬込氏の屋敷があった大伝馬町、米や穀物を売る者が多く居住していた本石町など、由緒のある町名がたくさん残っています。
引用元:貸事務所ドットコム https://tokyo.kashi-jimusho.com/chiku/02202/
日本橋・京橋・八重洲エリアは、中央区の北西側に位置し、その名の通り中央区日本橋・京橋や八重洲が含まれます。東京駅の東側で、中央通りや昭和通りなどの通りが格子状に走っています。大規模ビルを中心に形成される丸の内エリアとは対照的に、大小様々なオフィスビルが集まります。再開発も進み、京橋駅前には地上24階建ての「東京スクエアガーデン」がそびえ立ちます。日本橋駅では東西線・銀座線・都営浅草線の複数路線が利用可能なことに加え、何よりターミナル駅の東京駅に徒歩圏内のオフィスエリアです。飲食店も充実したエリアですので、昼夜問わず賑わいを見せます。
コレド日本橋
地下鉄銀座線と東西線の日本橋駅の真上に位置するコレド日本橋はビジネス、文化、商業の各施設を統合した複合施設。江戸期の日本橋は老舗大店がならび、各地の物産によって賑わった商業の中心地です。COREDOとはCORE+EDO。つまり江戸の中心を意味しています。コレド日本橋は兜町や日銀を背後に控え、金融、経済などの国際ビジネス街としての日本橋を支えるオフィスビルとなっています。デートや散歩で立ち寄っても、和食、中華、イタリアンをはじめとする国際色豊かなレストランが、ランチの期待にしっかり答えてくれます。
データ提供:レッツエンジョイ東京
ホテル最高"六つ星"評価、マンダリンの秘密
なぜ六本木でも新宿でもなく、日本橋?
三井不動産が2014年にお向かいに新しいビルをオープンし、ホテルの北側でも開発に着手するそうです。これにより、トータルで徒歩2分圏に2万人が働いていることになる。日本橋の再開発によって、われわれのビジネスモデルも変わっていくのです。
なぜ六本木でも新宿でもなく、日本橋?
内装だけでなく、客室からの景色も出色だ。東向きは東京スカイツリーとの距離感が絶妙で、途中に高い建物がないために隅田川とともに一望できる。西向きには東京駅周辺のビル群が目前に見下ろせる。スパも一面ガラス張りになっていて、エステやマッサージをしながら隅田川花火を見物することも可能だ。
下町を一望できる眺望はすごいの一言。全室に、オペラグラスが常備されている
――日本橋はオフィス街ではありますが、ホテルの立地としては意外な印象もあります。なぜあえてここを選んだのですか?
ある都市への進出を考える際には、いろいろ異なった角度から街をとらえなくてはなりません。パークハイアットのある新宿や、グランドハイアットのある六本木に進出しようとは考えません。長期的に得られる便益を考えます。
日本橋が魅力的だったのは、歴史があり、ストーリーがあることです。三越、髙島屋という2つの大手百貨店があり、多くのかわいらしいレストランがあり、何よりビジネス活動がある。何世代にもわたって受け継がれてきたものが、日本橋界隈にはあります。
15分歩けば銀座にも丸の内にも行けますし、浅草も近い。われわれのパートナーの三井不動産は、長年、巨額をつぎ込んで再開発をしています。過去10年間で日本橋は大きく変貌してきましたが、今後10年でも抜本的に変化すると思います。新しいオフィスがどんどんできて、東京の新たな中心地となるはずです。